#019   ●道頓堀川水辺整備に想う(03/5/26)


 いよいよ来年夏頃にも、道頓堀川戎橋~太左衛門橋間の遊歩道が完成することから、にわかにオープンに向け慌ただしさを感じるようになってきました。そんなこともあり、3年ほど前に書き留めていたメモをもとに道頓堀川への思いを整理してみました。

 もう10年にもなりますが、当初、水辺整備の話を聞いたときに、まず「このままでいいんとちゃうのん。」と思ったものです。あまりにも大阪を代表する景色として、さわりがたい一種のステータスを感じていたからです。

 今一度、戎橋から道頓堀を眺めてみます。多くの人が行き交う背後の喧噪とは対称的に、猥雑ではありますが無人のグリーンベルトが妙に無機質なコントラストとして存在感を示しています。時間の流れも、流れているような流れていないような・・・。道頓堀の黒い水に映るネオンが、まさにディープ大阪のカオスを感じさせます。こんな想いから、最初の一声となったわけです。

 とは言え、一旦遊歩道を造ると決めた以上、中途半端はいけません。思い入れを持った保守的な人間からは、原風景を変えるだけで必ず批判がでます。同じ批判を受けるならば、「やらなかった、やれなかったことへの批判」より、「やりすぎだという批判」を選ぶべきだと思うからです。

 戎橋からのグリコをバックにした景観は、大阪の代表的原風景として全国区レベルで認知されるとともに、猥雑さやコテコテ感が最も大阪らしさを醸し出している場所だと思います。直線的な両岸が作るシンメトリー性と、まわりの煩雑なネオンや広告などが妙にコントラストし、一点透視の世界が拡がります。

 新たな遊歩道整備は、この原景観のもつパースペクティブ性を継承することから始まります。遊歩道により、水域は狭くなるものの、視線を誘導する主軸としての護岸ラインは対称かつ直線により構成される必要があります。護岸に付随する柵なども景観に大きく影響を与えることから、同様の配慮が必要です。

 新たに造られる遊歩道は、歩行者の通行機能以上にアメニティ性が要求されます。通行機能に関しては動線を分かりやすくデザインするとともに、全体のフォルムを守るうえでも直線を貴重とすべきでしょう。アメニティ部については、例えばワンドのような「よどみの空間」を表現する意味でも、曲線的なデザインが分かりやすいと思います。

 次に、道頓堀川に架かる人道橋のデザインはどうでしょうか。(注)当時は戎~太左衛門橋間に人道橋が計画されていた。

 まずその必要性を整理します。2年前の社会実験の際、誰もが手が届くような対岸に簡単に行くことが出来ないジレンマを感じたはずです。にぎわえばにぎわうほど隣の芝生(対岸)が青く見え、ちょっと冷やかしに行きたくなるものです。引っかけ橋やら相合橋などの名前からも「出会い」がキーワードとなる場所柄、両岸からの交流が、さらなるにぎわいを生むことになるはずです。

 長大橋では力学の合理性がそのまま、デザインとしての合理性を併せ持つことが多いと聞きます。では普通の橋はどうでしょうか? 河川幅に変化のない河川に連続して橋が架けられる場合、力学の合理性や経済性だけを考えれば、全ての橋が同じデザインになってしまいます。こんな場合にも、先人達は構造形式を変えたり色を変えることで、連続して同じようなデザインの橋を造ったりはしません。「2つ目の赤い橋を渡って・・・」のように、橋を基準に道順や場所を説明することで、まちの重要なランドマークとなるからです。

 形的には、やはりシンメトリックとパースペクティブがキーワードとなります。船舶の運航から桁下には制約が多く、桁上部にモニュメント性を持ったデザインがいいでしょう。シンメトリック性を担保しながらも、あえて直線を避け、戎橋からの視線を優しく受け止める柔らかな曲線が似合うと思います。 ご託はこのくらいにして、後は優秀なデザイナーが・・・・。


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